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24日、黙示録最後を読む。なんだか現実のような平坦なような、御国への希望がわくような、ドラマなような、こわいような、はやくこないかなと思うような、複雑な気持ち。 19章:「ハレルヤ、救い、栄光、力は、われらの神のもの」1節。 「これは神の真実のことばです」9節。 20章:「サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放たれる」3節。しばらくの間とはどれぐらいだろうか。いっそのこと、一気に滅ぼしたらよさそうなものだけど…、神の計画があるんだなあ。 「額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た」4節。 「これが第一の復活である」5節。 「火の池に投げ込まれた」15節 キリストにしっかり従った人と、そうでなかった人との明確な区別がなされることは、第1の復活にあずかることによってはっきりする。 滅びの象徴として、「火の池」というのがある。地獄の火、裁きの火、滅びの火。 21章:「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、値なしに飲ませる」6節。 大きなことばだ。成就したとは、十字架上のことばとよく似ているなあ。 22章:「聖徒はいよいよ聖んるものとされなさい」11節。この「されなさい」がいい。聖なる者となれ、といわれちゃうと、ちと、心苦しいものがあるが、神によって、小羊によって、聖なるものとされなさい、ということばには、とても安心して委ねられる。 「渇く者は記なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」17節。 ただでいただける! サマリヤの女との会話を思い出させる。 夏、この箇所を読むと、さらに、感謝な念がわきあがるだろう、きっと。 以上、黙示録完読。 |
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